最強のふたり

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デイサービスで知り合って仲良くなったMさんとは、もし病気になっていなかったら知り合うこともなかったし、そしてたぶんこんなに親しくなる事もなかっただろうと思います。

初めて会ったのは3年前、運転手と助手の他に6〜8人位が乗る デイサービスの送迎車に、利用の曜日を変えたMさんがいて、私が隣に座った時でした。

聞いていいものかと迷いながら「どこがお悪いのですか?」と、私から話しかけました。

「元の病気は癌なんですが、それは治ってもう退院という時に微熱が下がらなくて、そのまま10ヶ月眠り続けました。目が覚めて主人に言った最初の言葉は、『私の年金おりてる?』だったの」

それから私と彼女は意気投合し、友達になりました。

年齢は彼女が1歳上で、デイサービスの利用者の中では若い方です。ふたりとも身体障害者ですが認知症はなく、口は達者でよく喋り、よく笑います。

が、似ているのはそこまで。家庭環境から趣味や嗜好まで全く違います。一番違っているのは、彼女がアウトドア派で私がインドア派ということかな。私は運動音痴だけど彼女はプロのボーラーなのです。。と言っても、中山律子さんのギャラが200万のころ、彼女は3万だったとか。でもまぁ、正真正銘のプロに間違いありません。(ちなみにその時のコーチが現在のご主人だとか)

病気になる前はゴルフに夢中で、米軍の基地内にある座間、多摩ヒルでプレーした月例でのハンデ 7が、最高記録だとか。ゴルフを知らない私には分からないまでも、女性のプレーヤーとして凄いのだろうなとは察せられます。

対して何の才能もない私は、夫の画廊を手伝って働いていたので、ほとんど外には出ませんでした。門前の小僧で少しは美術に詳しくはなりましたが。

病気になる前は洋裁を教えたり織物や彫金を習ったり、文章を書く事も好きでした。

トホホ、Mさんに比べたらお恥ずかしい経歴です。

こんなに違う二人が、どうしてあっという間に気が合い、こんなに仲良くなったのでしょうか?

一つだけ思うことは、同じように病を持って、同じように現実を受け入れて、同じように前に向かって行こうとしていること。

今デイサービスでの私たちは、彼女がいろんな情報を仕入れてくるのが上手です。あの人はこう、この人はこう、と。それを聞く私は父親譲りの無鉄砲で、あっちやこっちでやっつけて回っています。たぶんそれが直接か間接かの所為で、デイへ来なくなった人が2~3人はいるかも。

全く最強のふたりは、はた迷惑なふたりでしようね。

でも退屈な毎日を笑い飛ばすにはいいでしょ? これからも頑張りますわよ。

 一ヶ月程もブログを書かなかったので、はてなさんからメールが届きました。

それで慌てて書き始めて、もっと短くするつもりでしたが---。更新していない間も覗いてくださった方、有難うございました。

短くても、もう少し早く更新できるように頑張りますので、どうぞよろしくお願いします。

 

MeToo

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セクハラ関連のニュースが後を絶ちません。

財務省で「MeToo」の抗議プラカードを持った野党議員を見て、「セクハラとは縁がなさそうな面々だが」みたいなことを言った議員がいましたが、あれはどういう意味で言ったのでしょう? まさか女性議員たちがブスだとか、ババァだとか、そんな失礼なことを含ませているのではないでしょうね?

なぜならセクハラの被害を受けるのは、若さとか美醜とかとは全く関係がないからです。

世の遅れている男性は驚くかもしれませんが、例えば平均年齢80歳を超えていそうなデイケアサービスの施設の中でも、

「セクハラはあります」(「スタップ細胞はあります」風にきっぱりと)

男性(ここでは爺さん)が女性(ここでは婆さん)にちょっかいを出してからかう、囃す、触る(腕や背中ですが)という事は日常茶飯事です。

けれども半世紀以上セクハラに耐えてきた女性達にはもはや、ハエがとまったかその羽音くらいにしか感じていません。

が、腹立たしいのは、いみじくもジジイどもが放った次の言葉です。

「彼女も案外喜んでるよ」

この馬鹿げた大いなる勘違いこそが、セクハラを生む大きな原因であると思います!

---と、腹を立てている私は、セクハラの被害にはあっていません。なぜなら気を使う取引先とか上司とか、ご機嫌を取りたいと忖度する事項も無いので、その場で即、加害者をやっつけるから。

 あゝ、一人例外の人物がいました。

Sさん

彼が入浴に向かう時に出くわすと、「一緒に入ろ」と 車椅子の上から手招きします。

それからウォーキングマシンを使っていると、自分もやりたいと駄々をこねて職員を散々困らせてから、「歩けるようになったら、一緒に庭を散歩したいねぇ」と誘ってきます。

彼が乗った車椅子とすれ違う時は、お触りに来るのでこちらも杖で防護します。

デイケア施設の全ての女性に分け隔て無く、そんな風にして回るので有名でした。

ところがそれも徐々に少なくなり、なんだか少し痩せたみみたい。そういえば最近姿を見てないと思ったら、先月亡くなられたそうです。

今頃は花が咲き乱れる天国の庭を、やさしい天女さまと手をつないで散歩しているかしら。

そういえばSさんは、私がやっつけていない数少ない男性です。セクハラには断固立ち向かう私も、彼の悪戯っ子のような、無邪気げなニコニコ顔に騙されていたのかもしれません。

Sさんのご冥福をお祈り申し上げます。

合掌

 

ねこのねごと

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「猫を飼ってみたら?」と勧めてくれたのは、

脳梗塞の後遺症で入院していたリハビリ病院の療法士の先生でした。

実は脳梗塞を発症する1ヶ月ほど前に、一緒に暮らしていた猫を亡くしたばかりで、

そのときの悲しさからもう猫は飼うまいと決意したつもりでした。

ところが(もう一度飼ってみようか)という思いが芽生えてしまうと、もうダメです。小さい芽はどんどん成長して、心の中を覆い尽くすほどになってしまいました。

それで息子に頼みました。

「ねぇ、ネコ飼っていい?」

「ダメ! 半身麻痺の人が世話できないでしょ」と、息子。

「でもかえってリハビリになるかもしれない。ねっ、お願い」

(あっ、これって---息子が小学生の頃よく交わした会話だ! 立場は逆で---)

こうして息子を拝み倒し、ようやく(半分は焦らされて)OKを貰ってから、前のねこがお世話になった動物病院に電話をしました。

「保護ねこが一匹だけ残ってます。ちょっと大きくなってしまって、七ヶ月の子ですが」

これがphooでした。

上の画像の右に座っているお兄ちゃんねこです。怖がり屋で隠れてしまうので、最後まで残ってしまったとか。写っているのは、甘えん坊の弟を守っている凛々しいお兄ちゃんに見えますけど---。

息子が動物病院から連れてきてキャリーバッグから出した時、あっと思う間もなく走り出てきて私のベッドの下に隠れてしまいました。それから一週間、私が見たのはベッドの下の暗闇で光っている目だけ。置いておいたご飯と水も3日ぐらいからいつの間にか無くなるだけで、姿は見えず。

それが今では危ないくらい足にまとわりつくし、毎晩ベッドの上に上がってきて、私の顔のそばで寝ています。

そうそう、寝言のことでした。

春の季語に「猫の恋」があるくらい、春の夜はあちこちで猫の鳴き声が騒がしくなります。

でもうちのphooは知らん顔。だって保護された時に素早く去勢されてますから。

2,3日前の、ことのほか外の鳴き声が騒がしく、さすがのphooもじっと窓の外を眺めていた夜のことです。

「ニャーーーーーン」

私の耳元でphooが寝言を言ったのでした。でもその鳴き方は恋の言葉というより、

子供の頃に遊んだ弟の夢を見ていたように聞こえました。

 

昨日phooを動物病院に連れて行きました。

トイレに入るとなかなか出てこないし、回数が多い割には猫砂が汚れていません。結石にしては痛がらないし、便秘くらいかもしれないけれど、とにかく診てもらいに行ったのです。

なにしろ小さい頃からの怖がり屋さん。キャリーバッグにも入らないので大変でした。お兄ちゃん(息子)は引っ掻かれて血だらけ。聞いたこともなかった野太い声で鳴くので、タクシーの運転手さんには謝り通し。

でもそんなにしてでも連れて行って正解でした。

『ストルバイト尿石症』という病気で、もし気付くのが遅くておしっこが出なくなってから行っていたら、2日くらいで亡くなるときもあるとか。

ああ、間に合ってよかった!

もしかしたらphooは寝言で私に訴えていたのかもしれません。

f:id:a-yu-k2471:20180422175243j:plain食べ過ぎはダメ

腰痛余話

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私の腰痛は完全に治っていますが、そのスピンオフを。

 

先月のことになります。

まだ腰痛が治らず、痛み止めを飲みながら通所リハビリに通い、疑心暗鬼のままで鬼の施術を受けていた頃のことです。

新しいリハビリ患者が入ってきました。まだ40歳半ばの男性です。

最初にみんなの前に出る時は誰でも、ちょっと緊張した顔をしているものです。

ところが彼はニコニコ笑って、派手なビッコをひきながら杖を掲げて、「ちわーっス」って。髪はモヒカン刈り! 石の代わりに胡桃でもカチ割れるほど重そうな靴。

何でも面白そうに笑うのは、芸人に喜ばれそう。笑う合間に入る喋りは、不自由な足と一緒で少しつかえる。

でも、この声や笑い顔はどこかでー。

家へ帰ってからテレビを見ていて、ハタッと手を打ちました。

俳優で歌手の、「峯田和伸」に似ているんです。(知らなかったら、ネットで調べてみて) 天然というか、今時珍らしくピュアな感じが。

彼は、私が受けていた鬼の施術を見て、「痛いンっスか、くっくっくっ」と、、、笑ってました。他の人たちが自分へのとばっちりを避けて、目をそらせていたのに。

 

そして一ヶ月経って4月。

峯田和伸もどき君が兄に付き添われ、苦悶の顔でやってきました。

「野球でバッティングやってて、ぎっくり腰みたいになったンスよ」

「あっ、いや、甥と遊んでたから、プラスチックのバットとボールですが」(と、兄)

なーんだ、オモチャでかい。

ともあれ、兄の付き添いがあったにせよ 、痛み止めなしでリハビリに来たのはさすがです。

あとは私の時と同じ、マットに寝かされたまな板の鯉に、H先生の鬼の施術。その後「起きて運動しなさい」ただそれだけです。

「起きるのも痛いっす。動けるかなあ」

 

私は優しき先輩として忠告してあげました。

「ちゃんと治るから。H先生を『ゆめゆめ疑うことなかれ』よ」

峯田和伸もどき君は半信半疑の顔で、それでも素直に、

「ウィッす」と答えました。

 

後でH先生が、

「『ゆめゆめ疑うことなかれ』って、インチキ占い師なんかが言うんじゃないのぉー」

と、文句を言ってました。

腰痛がどうなったか、今度峯田和伸もどき君に会うのが楽しみです。

春の憂鬱

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デイサービス施設の中庭で、スミレが暖かな陽射しを浴びて咲いているのを見つけました。

 

桜が咲いて、やがて散るころになると、私は小学生の頃を思い出します。

60年も前のことです。クラスのみんなから『ちび・でぶ・のっぽ』と呼ばれていた仲良しトリオの女の子達がいました。

「のっぽ」は私。中学で止まってしまったけど、昔はクラスで一番背が高い女の子でした。

「でぶ」は今でも---。そして今は田園調布の素敵な家でケーキを食べてないときは 、タカラヅカに狂っています。

「ちび」はクラス一のおちびさん。それがつい四年前に全身の末期癌で入院していました。私が脳梗塞で入院した時で、互いにお見舞いには行けないけれど、みんなが寝静まった真夜中の別々の病院のベッドの中で、「痛くて眠れないの」という「ちび」に、「ちび」より背が低くなった「のっぽ」はメールを送り続けました。

お花が好きで、イギリスに留学してフラワーコーディネーターになっていた「ちび」が、抗がん剤の副作用でアレルギーが出て、もう花に触れなくなったと言っていたのが、

やがて桜が散るころに亡くなってしまって、

もうじき三年になります。

最近「のっぽ」は「でぶ」に、「ケーキは我慢して、長生きしてね」とメールを送ります。自分の方が後に残るのはいやだなと思うから。

こうして失うことが怖いから、いろんなことを我慢しているのかしら。

 

今日のリハビリの時に、隣にいた86歳のシスター(本物のクリスチャンの尼さん)が、「左の耳が聞こえなくなってきて」と、会話を聞き取れなかった左隣の人に謝っていました。

そして右隣の私に、「味覚もだんだんなくなって---」と、

「甘い、辛いは分かるんだけど、美味しいかどうかは---。もういろんなものを少しずつ、神様にお返ししているんです」

なんだ、そうか。借り物か。いつかみんな返すのか。

 

リハビリやデイケアに行くと、人生の先輩方がたくさんいます。

こちらは理学療法士作業療法士の先生達とは違う、人生療法士。

時々わけもなく憂鬱な時に、施術してくださいます。

腰痛のその後

f:id:a-yu-k2471:20180314134801j:plain (デイサービスのマシーン)

 

前回、腰痛で困っていることなどを愚痴りました。

その後どうなったか?

まずリハビリのH先生に謝ります。(先生はこのブログ知らないんだけど)

リハビリを休むと連絡した時、先生が電話口に出てきて、

「迎えに行くから、出てきて施術をうけろ」

と言われた時、(この鬼!、痛いから行けないんだ!動けないんだ!)

と叫びました。(心の中で)

湿布でも貼って寝ていた方が治ると思っていました。(その方が楽だし)

痛み止めは我慢していました。それでなくても脳梗塞を起こしてから、毎日6種類の薬を飲んでいるのですから。

そんな時、やはり休んでいたデイサービスからは、

羽生結弦くんも痛み止め飲んでるよ。がまんしないで」

と、やさしきお言葉が届きました。

まっ、私も金メダルが取れて報奨金が1000万円貰えるなら、とっくに飲んでたんですが。

湿布貼って寝ていても一向に治らないので 、とうとう痛み止めを飲んでリハビリに行き、H先生の鬼のような施術を受け、やはり痛み止めを飲みながらデイサービスにも行って少しずつ動くようにしました。

 すると-−-何ということでしょう! いつの間にか---治ってしまったのです!

動けば治るという言葉を疑って、リハのH先生ごめんなさい。

デイの優しきKちゃん、ありがとう。

夕飯のおかずを届けてくれたMさんとご主人に、感謝。

あゝ、痛みがないって、何て楽なの。

私は、金メダルを獲るより幸せ者です。(報奨金は欲しかったけど)

と、ここで終わればいいのですがーー。

暫くして、 

ちょっと身体が楽になったし、ちょっと暖かい日もあつたので、近くのスーパーまで出掛けました。phooのご飯がなくなってしまったので、一年近くぶりにシルバーカートを押して行きました。次の日、ーー

ーー今度は腕が上がらなくなりました。

馴れないカートを緊張して押した為に、広背筋を痛めたようです。

もう要領はわかっているので、痛み止めと、鬼の施術と、デイのマシーンで、幸い1週間程で治りましたが。

 

リハビリで一緒の方が、実にうまい喩えを仰いました。

 

「私たちは『返し縫い』みたいな毎日ね」

 

この縫い物はいつ仕上がるのでしょう。

腰痛雑記

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月に2回くらいのペースでブログを更新する予定が、今月は無理なようです。

原因は『腰痛』

もう10日以上デイサービスもリハビリも休んでいます。

最初は痛い理由が分からず不安でした。転んだのでも(骨折)、打つけたのでも(打撲)ないし、なんとか狭窄症というもので手術する事になったらどうしようと。

しかしリハビリの先生に「筋痛です」と言われてからは、湿布でもしておけば直ぐ治るだろうとタカを括っていました。

ところでこの湿布が大変なのです。湿布そのものはなんとか使用期限内のものが残っていましたが、背後の腰の痛む箇所にピタリと、自分で貼れそうにはありません。

昔は良かったんです。左手は麻痺してなかったし、右手もけっこう届きました。それになにより、夫が居ました。

新婚当時は「チョット貼ってくれる?」と言うと、嬉しそうにいそいそ貼りにきたし、古女房になってからは面倒そうな顔に変わったけど、まぁ貼ってくれてました。

しゃーない。息子に頼もうと、背中をめくってパンツとズボンをお尻ギリギリまで下ろして、ソファにもたれて呼びました。

私ーー「チョット貼ってくれる?」

息子ーー「はーい。ちよっと待って、今途中だから」

(何が途中だ。どーせゲームだろう)と思いながら、母は黙って待ちます。就寝前のエアコンも切った部屋で、半ケツ姿で。

(最近ニュースでよくありますね。老母を蹴飛ばして死なせちゃった、介護疲れの息子の事件。どうか、そう遠くない我が未来になりませんように)

ところがちようど次の日、テレビで観たんです。

事件のニュースじゃありませんよ。

自分で湿布が貼れる器具がホームセンターに売ってる、って!

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自分で軟膏が塗れる器具もあるようです。

長生きはしてみるもんです。これも一人暮らしの老人が増えたからの発明ですかね。

話が逸れましたが、そんなこんなで、腰痛で何も出来ないまま日が過ぎ、ブログが更新できなかった訳でした。

早く春が来ますように。

悲しきDNA

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脳梗塞の後遺症で歩行には杖をついていますが、ふだん自宅の中では壁や柱をつたったりビッコをひいて歩いています。ときどき夜トイレに起きると、リビングの明かりを背にして歩く自分のシルエットにハッとします。とっくに亡くなっている祖母と、あまりにも歩き方が似ているので。

祖母は若い頃は◯◯町小町と言われたそうで、古い写真には少し気が強そうなきりっとした美人が写っていますが、私の記憶の中では足の神経痛でビッコを引き、外に出たがらないガンコ婆さんでした。家族みんなで旅行に行く時も嫌がって手こずらされました。

祖父は家業の酒屋の他に、推されて市会議員も勤めていた優しい人格者だったそうですが、私が小学校入学前に「お祝いにランドセルと机を買ってやろうな」と言ってから、約束を果たさずに脳溢血で亡くなってしまいました。

祖父母の4人の娘、その長女である私の母は、祖母の気質を受け継いで気が強くきりっとした性格で、いつも眉間にシワを寄せていた気がします。小学校の国語の宿題で私が作った短歌を今でも覚えています。

『久しぶり  母の鼻歌  今日聞きて  歌は下手でも  皆聴き惚れる』

あぁ今日は、お母ちゃんの機嫌はよさそうだとー小学生の作品ですから下手くそなのはお許しを。

今になって分かるのですが、母は頭痛持ちだったのです。65歳のときクモ膜下出血で倒れました。幸い命は取り留めて退院できるほど元気になった時は、眉間のシワなどどこへやら。コロコロとよく笑う楽しい母でした。

しかし母は祖父のDNAを恐れて、自ら望んで再び脳の手術をし、失敗して8年間寝たきりで亡くなりました。

私は、祖父の、母の、DNAを確実に受け継いでいます。更に父のDNAもあるわけで、これはパーキンソンやらアルツハイマーやら、ややこしくなるのでまた機会があればということにしますが、とにかく『脳血管』関係の病気になると予言されていたようなものです。そして予言通り『脳梗塞』となりました。

私の子供達はーーいずれ気をつけなければならない年齢になると思いますが、一筋の光明は私の夫の、つまり父親のDNAなら脳は大丈夫らしいことです。かわりに心臓とか癌が気になりますが、病気にならない人も死なない人間もいないのだからしようがないわね。

娘が大学生くらいの時、どういう話の続きだったのかは忘れたけれど、突然、

「働いてお給料がもらえるようになったら、お母さんを花巻温泉に連れてってあげるね」

と言ったことがあります。私が宮沢賢治が好きで、いつか行きたいと言っていたのを覚えていてくれたのです。池袋の駅の地下道をふたりで東口から西口へ歩いていた時でした。嬉しくて泣きだしそうになりました。

後からそれを思い出して考えたのは、

「娘は私よりずっといいDNAをどこかから受け継いだな。私は母にあんな嬉しい言葉を言ってあげたことがなかったもの」

ということでした。

祖母にも言わなかったし、手を引いて外出させてあげることもなかった。父を喜ばせてあげることもなかった。あんなに愛してもらったのに。

歳を取ることが辛くて悲しいのは、いろんな事を忘れていってしまうからではありません。

むかし出来たのにしなかった事が、いつまでも忘れられないからなのです。

 

寝たきりになった母を病院に見舞った時のことです。

忙しく働いていた看護婦さん達も途絶えた、昼下がりの穏やかな時間でした。母にふと、「私なーんにも親孝行してないね」と言ったことがありました。すると母は、

「そうでもないよ」

と言ってから、ふふふと笑ってベッドの布団の中で、「ぷっ」と可愛いおならをしました。あの時ふたりで一緒に笑ったけど。

私は今でも泣きたくなるのです。

 

ガキの使いやねん

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今年の初めに目標を二つ掲げました。

ひとつは、今年こそ貯金します!

ふたつ目は、自分で買い物に出かけます!

貯金と買い物…一見矛盾しているようですが、実は深い理由があるのです。それは…

 

私は3年余り前に発症した脳梗塞の後遺症で、左半身麻痺の身体障害者となりました。脳梗塞の病院からリハビリの病院に移った時、運動着にするトレーナーを2着ほど買ってきて欲しいと息子に頼みました。

思えばこれが、自分で買いに行かなかった最初の品物です。受取ったトレーナーが私の趣味に合わなかった訳ではありませんし色も良かったんですが、運動着としては失敗でした。なぜか裾に切り替えがあって、後ろが短いのです。リハビリ運動や施術の時に後ろが短いと、パンツが出ないかい?

その後、娘が買ってきてくれる物には何の不都合も感じたことが無いので、やっぱり男には買い物を頼まない方がいいと、その時思いました。

しかし退院して息子と暮らす家に帰ると、不自由な足で買い物には出かけられなくなっていました。一番近いコンビニに300歩、スーパーまでは500歩余りなのに。

そこでほとんどの買い物をインターネットに頼るようになりました。ネットスーパーから食料品や生活雑貨が届きます。重いお米や飲料水も玄関まで運んでもらえます。衣料品は分厚いカタログから選びます。電化製品もペットのオモチャも、クスリや介護用品も、何でもかんでも揃っています。

が、これがネットの危険な罠でもあるのです。奴等は無防備な消費者を絶えず見張っていて、これを買った人間なら次はこれを、これを検索した輩ならこれはどうだと攻撃してきました。テレビで観た遺骨散布について検索したら、永代納骨堂の案内までメールしてきましたよ。

ネットサーフィンして暇つぶしをしているうちに、ついつい何か買ってしまうー私は狙われ易い愚か者です。さすがに永代納骨堂は頼んでませんが、脳梗塞のホームリハビリ用DVDや電動風呂洗い機、等々は後悔していることを白状します。そして今年はネットの買い物をやめて貯金しようと決意しました。

しかしそれには、自分で買い物に出かけなければなりません。今迄のようにちょっとしたものを息子に頼む事もやめようと思います。

以前 息子に風邪薬を頼んだら、「◯◯を」と見本まで見せたのに、聞いた事もないメーカーの薬を買ってきました。薬屋がこっちの方がいいと言ったとか。◯◯よりこっちの方が、儲けが多いのとちゃうんかい?

またある時、台所のゴミネットを頼みました。わざわざ「ストッキングタイプを」と言ったのに、買ってきたのは不織布タイプでした。「ストッキングは50枚182円だったけど、こっちは99円だった」とか。83円をけちって、ナンボのもんじゃ。

が、母はいつも笑顔で礼を言うだけです。へそを曲げられて、もう頼めなくなると困るから。

そういえば、デイサービスで友達になったMさんの経験談を思い出しました。彼女はご主人に、コーンの缶詰をたのんだそうです。「クリームのじゃなくてホールの。粒のを」と念を押しました。さて、ご主人は何を買ってきたでしょう?

皮をむいて塩茹でしたトウモロコシの真空パック、見たことあるでしょ? アレです。売り場の店員さんが教えたとかで。

かくして買い物に行けない二人の主婦が達した結論は、男はガキの使いやねん。頑張ってリハビリして、自分で買い物に行けるようにならなあかん、と。

これは男たちの大いなるリハビリ向上計画なのでしょうか?

お正月。何がめでたい

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今年も残りわずかとなりました。で、何か?

今日も予定通りリハビリに行って来ましたが、仲間の通所者さん達もいつも通りで、帰る時には形ばかりに「良いお年を!」と言い合ってから「また来週ね!」と別れました。

お正月といっても、デイサービスやリハビリに通う高齢者にはたいして嬉しくも悲しくもないのです。

たとえば大抵の高齢者や身障者は、転んで骨折なんかしたら大変と、人混みの中をわざわざ初詣なんかには行きません。

またある人は、普段はオレオレ詐欺の方がマシというほど電話もしてこない息子が、孫やら曽孫を連れてやって来れば、わずかな年金と減り続ける蓄えの中からお年玉を拠出しなければならないとため息をついていました。

デイサービスの施設内だけで通用する紙幣を印刷して、認知症防止のための計算をさせていますが、「あの紙幣をお年玉だと孫にやったら、昔は喜んでたのになー」と嘆いていた人がいました。(孫も可愛いのは小さい内だけ)

いつもは家族と暮らしている人も、たまには介護を忘れたいと旅行に出かけるみんなを見送って、ショートステイに送られます。

若い頃はみんなの為にと腕をふるったおせち料理も、今は通販で発泡スチロールのお重に詰めて届きます。

テレビをつけると、一年間退屈しのぎに飽きるほど見ていた話題が、順位をつけてまたぶり返される番組ばかり。

それに最近のお笑い番組では、若い人たちとの感覚の違いか、どこが面白いのかさっぱりわからない。

まあざっとこんな風です。 

私の子供の頃のお正月は楽しかった。

着物を着せてもらって家族で近くの護国神社へお参りし、お祖母ちやんや親戚のおじさんたちにお年玉を貰って、姉や従姉妹たちと羽子板をついたり、こたつに入ってトランプをしたり……。

それがだんだん変わってきたのは、結婚してからかな。

嫁ぎ先が自営業で手伝わされていましたから、年末は大掃除が大変でした。3階建ての1階が店舗で、住居の2階にも3階にもトイレがあって、この建物、殆ど私が掃除してました。夫はお飾りをかけて窓拭きと庭掃除。一夜明けてお正月には2人の義妹一家がやって来て、大晦日に作ったおせち料理を2家族で食べ散らかし、私は酒の燗係。2日目になってようやく実家へ帰れても、跡継ぎの姉に「あの子は手伝いもせずに朝寝して…」と言われてのんびりできません。母は「帰った時くらいのんびりしたらええよ」と言ってくれましたが、姑に仕えたことがない養子娘の姉には分からなかったのです。

くっ、くっ、くっ(嗚咽の声)…長男の嫁って可哀想!

だから

お正月? 何がめでたい! 地球が太陽の周りを一回まわっただけのこと。

ようやく『長男の嫁』から解放された今、お正月は寝坊してipadでゲーム三昧(スパイダーソリティアかHome scapes)と思っていたけど、注文していた本が届きました。

佐藤愛子の『90歳。何がめでたい』

読書の正月にします。

良いお年をお迎えくださいませ。