ムジナの靴とクメール語

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中学から高校に上がるくらいの頃、人生を変えるような本と出会いました。

『ヨーロッパ退屈日記』(昭和40年)という伊丹十三のエッセイ集です。当時の伊丹氏は一三の名前だったと思います。

地方の小さな町に住んでいた田舎っぺの文学好きの少女は、宮沢賢治ロマン・ロランヘルマン・ヘッセの本からは学べなかった事を、このエッセイ集から学びました。

当時は町の喫茶店くらいでしか食べたことがなかったスパゲッティを、フォークにくるくる巻きつけて食べることや、まだ乗ったことはなかったけれど外国線の飛行機で提供される「ミモザ」のカクテルの事、見たことも価値も知らなかったルイ・ヴィトンの鞄やエルメスのスカーフ、ルーの下着、シャルル・ジョルダンの靴・・・そして、プジョーの自転車。

でも私の人生を変えたのは、田舎では知る由もなかったこれらのブランドの事ではありません。伊丹一三は書いていますーープジョーの自転車に乗ってカンボジアアンコール・ワットの近くを行くと、水牛をひいて田んぼを耕している農夫が手を振る……(読んだのはもう彼方の記憶で、間違っているかもしれませんが)…こののんびりした風景が脳裡に焼きついて、私の人生が変わってしまったのです。

その頃目指していた美術大学はやめて、文学部史学科で人文地理学を専攻し、卒論にアンコールワットを選んでカンボジアへ行くつもりでした…が、思い通りにはいかないもの…ちょうど卒業近くにはベトナム戦争が激しくなりカンボジア行きは叶いませんでした。

それから田舎っぺ少女はカンボジアなどさっぱり忘れて、普通に日本で主婦になり、母になり、田舎の町で楽しく幸せに暮らしました…とさ。  

って? えぇっー、で? 人生を変えた本の話は? どうしちゃったの?

慌てないで。人生は長いの。

…だんだん歳をとって独りになった時、私はふっと思い出しました。カンボジアの、アンコールワット近くの、水牛の、そのそばで手を振るおじさんの風景を。

多分時代は変わり、その風景も変わっただろうし、手を振っているおじさんより私の方が年寄りかも…

 いったい何がそんなにいいのか、何の値打ちがあるというのか、そう聞かれると答えようがありません。とにかく、少女の頃にみた夢なのです。

私はカンボジアへ移住することにしました。もう引き止める親も、夫もいません。子供達は手を離れ、私の夢を応援してくれました。少しでも助けになるようにと、クメール語も習い出しました…それなのに…私は脳梗塞になり半身麻痺が残りました。

病気は色々なことを諦めなければならないことです。

日本国内の旅行もできないのにカンボジアは無理…諦めました。

左足に固い補助の装具を付けなければならなくなったので、普通の靴が履けなくなり、娘のタイ土産のムジナの赤いスエードの靴も娘に返しました。大好きなCANPERの靴一足以外は諦めて捨てました。

こうして少女の頃の馬鹿げた夢は諦めました。… 

…って、もうお終い? やっぱり人生って変われないの?

いいえ、慌てないで。まだまだ人生は長いの。

半年前から装具は付けなくてもよくなって、普通の靴が履けるようになりました!(ムジナの赤い靴は、いつか娘に返してもらおうかな)

それに、どうしても出来なかった床からの立ち上がり…phooが床に毛玉を吐き出したのを拭いてから…椅子にも台にも掴まらずに…ひとりで立てました!

リハビリの先生は、私が出来ないことの半分以上は怖がっているからだと言います。

…田舎っぺの少女の夢もまだ諦めずにいましょうか…

(クメール語の教科書とCDをまた引っ張り出そうかな)

そうね、怖がらずに諦めなければ、

人生は変えられるかも。

達人たち

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(デイサービス裏庭の農園)

週2日、デイケアサービスに通っています。ここでは利用者が、自分でその日1日のスケジュールを決め、できる限り自分で行動するきまりになっています。もちろん障害の軽重によって違いはあり、移動だけとっても車椅子やカートを押す人や杖をつく人などから、全く元気で闊歩する人などさまざまです。

1日のスケジュールのメニューはーーパン教室、料理教室、陶芸教室、パソコン教室、各種の体操、機械によるマッサージなどから、カラオケ、麻雀、そのほか「ぼんやりする」等等。

私は夏から園芸も始めました。上の画像の農園はほんの一部で、下方の帽子の男性が園芸の師匠です。「師匠」と呼ぶと彼は嫌がりますが、私と同じくデイサービスの利用者で病気の後遺症の軽い麻痺が残っていて杖もついています。

今私が育てているのはセロリと大根。先日間引いたセロリの細い茎と葉を、家で細かく切ってジャコと炒めてふりかけにしました。作り方はデイ利用者のおばあさん達が教えてくれました。美味しかったぁ。

パン教室では、50年以上パン屋さんをしてきたというデイ利用者のおじいさんが、パン生地のこね方などを教えてくれます。柔らかくておいしく焼けます。

やはり利用者で、長く外国で暮らしていたというおばあさんが、英会話を教えてくれる教室もあります。途中で先生が寝てしまうことが多いらしいけど…。

誰かが「布わらじを作りたい」と言ったら「作れるわよ」という利用者さんがちゃんといて、その教室もできました。

「只管」という漢字を即座に読んで教えてくれる、南米で領事館勤めだった楽しいサンバのようなおじいさんもいます。

今は、認知症が入っていても、病気の後遺症で身体が不自由でも、高齢であちこち病気を抱えていても、誰もがかつては輝いていた時を持っています。その輝きは決して失われることはなく、心の中か、脳の海馬の中か、または体の中に刻まれています。彼等は達人たちです。ただ世に出る暇も欲もなかった隠れた名人達です。

このデイサービスの理事長はその独自の運営で雑誌に取り上げられたり、テレビにも出たらしいけれど、利用者の達人たちこそ出るべきだったと思えます。もし、

「プロフェッショナルとは?」と訊かれたら、きっと楽しげに、懐かしそうにこう答えると思います。

「長く生きること」 

アニマルセラピー、ブログセラピー

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私がまだ若くて健康で、運命は自分で切り開くものだと思えた頃、「癒し」とか「癒される」などという言葉は大嫌いでした。

自分を強いと思っていたし、他から癒して貰わなくても充分生きていけるわ、と。

なんとまぁ傲慢で、人生を甘く見ていたことでしょう。

やがて年月が流れ若さや健康を失い、両親や夫や友達さえも喪ってから初めて、

自分は少しも強くはないと気づきました。

その時からアニマルセラピーを受けています。セラピストは上の画像で万歳をして寝ている保護猫のphoo(ぷぅ)。ねっ、癒されるでしょ?

最近はブログを書いてネットセラピーも受け始めました。

実は以前、「はてなダイアリー」でブログを書いていました。はてなスターを贈ったり貰ったり、コメントも貰ったり返事を書いたり。

最初はアクセスが増えると嬉しくて結構楽しんでいましたが、そのうちだんだん辛くなってとうとうストレスになってしまいました。閉鎖した時はホントほっとしました。

だけど今回は、自分のために書けばいい、別にPVが増えなくても、病気のリハビリやデイサービスでの新しい出会いを書けば記録になるし、ボケないための脳トレにもなる。

………でもね、あまりにもアクセスがないのは………やっぱり佗しいものですね。

もう少しして覚悟ができたらみんなに報らせよっかなー。で、それでも変化無しだと余計に侘しいかー。

せめて脳トレになれば……。でも今のところ分からないことがいっぱいで、画像の大きさや貼り付ける場所を変えたいけどどうしたらいいのか、勉強しなくちゃ……。

こうしてストレスと癒しのハザマで、私はブログを書いています。

 

おいしいコーヒーのためのスクワット

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三年前に脳梗塞を発症して左半身麻痺になりました。

幸運だったと思うのは痛みがないこと、利き手の右半身が健側だったこと、発症に気付いたのが早かったことなどです。

それでも退院までに書いたノートには幸運だけではなかった気持ちが残っています。

 

ーーーもはや 働かない。おいしく食べることもない。

                      楽しまない。着飾ることもない。

                      創らない。歌わない。

                      親しい人に自らは近づかない。

                      ほとんど眠っている。

                      死なないから生きている。

 

ーーー「出来たらいいな」と思う事。

             ベッドで一人で起き上がれたらいいな

             トイレで一人でパンツの上げ下ろしができたらいいな

             一人で歯磨き、洗面ができたらいいな

             一人でお風呂に入れたらいいな

 

「出来たらいいな」はすべて出来るようになって、三ヶ月後に退院しました。

脳梗塞の後遺症の回復は、発症後の半年間でほぼ止まるといわれています。

私は既に3年経過しているのでもうこれ以上の回復はないかもしれません。が、

毎日結構楽しいのです。もう少しなんとかなりそうな気もします。病気のおかげでできた友達もいます。

週2日のデイケアサービスに加えて、3ヶ月前から通所リハビリテーションにも行き始めました。

そこでは個別の指導の後、帰る前にみんなで並んで歌いながら同じ運動をします。いつもストレッチとバランスボードとスクワットです。

たとえばスクワットは30回を3セット、間に短かい休憩を2回挟んで3回。合計して270回やります、と簡単に言いますが元気な健常者の話ではありません。上は90歳を過ぎた人から認知症の人、病気で麻痺などが残った人など、10人くらいがやっています。

 私はスクワットはなぜ270回なのか1日に300回ならキリがいいのにと考えて、家で残りの30回をしようと思いました。ーーーん、ところがひとりではなかなかやらないんですよ、これが。歌も歌わないしーーーね。

 

話は逸れますが、私はペーパーフィルターでコーヒーを淹れるのが得意です。デイケアではみんなが美味しいと言ってくれます。コツは簡単で最初に少しだけお湯を注いで豆を蒸らすのです。この蒸らし時間が難しい。つい面倒になって短かかったり、うっかり忘れて冷えさせたりします。

 ここで30回のスクワットの登場です。蒸らしているコーヒー豆の側でこれをやるのがベスト!

1日300回のスクワット完遂、おいしいコーヒーも飲めるーーーというわけです。 

これまでと今とこれから

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(通っているデイサービスの陶芸教室で作った植木鉢カバー)

 

ちょうど5年前に夫を喪いました。

その時に持っていたと思っていたものの殆どを失うか捨てるかしたら、

残ったのは子供2人と、ひーちゃんー本名を「みなもとのひろまさ」という黒斑猫くらい。やがてそのひーちゃんも腎臓病で喪いました。今の棲家に移って2年後のことです。

その後私は脳梗塞に倒れ、左半身麻痺で身体障害者2級、要介護2となり、3年前から週に2日デイサービスに通っています。さらに3ヶ月ほど前から週2日通所リハビリに通い始めました。

退院時に近所の動物病院から引き取ってきた保護猫のphooもそろそろ3歳半になります。

これがこれまでのこと。

 

発症時入院していた頃は患者の中では若い方でしたが、今はそこそこになりました。

一度バスで出かけた時に転んで腕を骨折してからは怖くなって、週4日の送迎と月1回の検診にタクシーで出かける他には外出しません。

家の外では杖をつかなくてはなりませんが、買い物はネットで届けてもらい炊事、洗濯、掃除など家事のほとんどはゆっくり時間をかけてやっています。

これが若い頃に考えていた今とは全く違う今。

 

これからも思いもしないこれからが、起こるだろうと思います。

それは少し怖いけれど、わくわくもさせられます。

なぜなら今までに辛いこともあったけれど楽しいこともあったし、喪った人もいるけど出会った人も沢山いるから。

もう、これからは始まっていて、まずここでこれを読んでくれているあなたと出会いました。そしてまだまだ起こるこれからのことを、書いていこうと思います。

どうぞよろしく。

帰還

                         

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 (保護猫phoo)

 
5、6年前に立ち去ってからは振り返って覗いてみることもなかった

はてなダイアリー

はてなブログに変えて

帰って来ました

傷だらけの身体障害者手帳

びびりの保護猫phooと

共に

 

とりたてて話すこともないただの脚註のような

あるいは終わった人生のおまけの付録のような

日常

しかし今はここに確かに居る、有る

ということをただ自分に記録するため

帰りました